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2019.10.30
10月17日、「コミュニティー?カレッジ:罪を犯した人の立ち直りを考える~問題解決とその方策」の第2回目が開催されました。担当は、本センターの客員研究員でもある弁護士の林大悟先生です。
今回林先生は、「精神障害者による万引き事件の弁護活動」と題して、ご自身の経験を交えながら、精神障害によって引き起こされる万引きへの治療の必要性についてお話してくださいました。
前提として、先生の講義の対象は窃盗の類型の中の万引きです。そして万引きに関する精神障害の例としてクレプトマニア、認知症、てんかん、解離性障害、知的障害、発達障害、統合失調症等があります。これらの精神障害が発生するのには、生育課程における被虐体験などの過酷な経験が影響していることもあるそうです。
初めにお話しくださったのは、クレプトマニアについてです。クレプトマニアとは、「物を盗もうとする衝動に抵抗できなくなることが繰り返されるという衝動制御の障害」だと、DSM‐5(米国精神医学会による精神疾患の診断?統計マニュアル)に規定されています。クレプトマニアの人は、盗みへの衝動が抑えられないから、万引きが止められないのです。
クレプトマニアの病態仮説には①嗜癖モデル(依存症モデル)②感情障害モデル③強迫性障害モデルの3つがあり、そのうち①の嗜癖モデルが有力説になっています。これはアルコールや薬物依存のように万引きという行為そのものに執着しているという仮説です。クレプトマニアの症状の進行によっては、アルコール依存症患者が進行に伴ってアルコールへの耐性が付くように、緊張感や快感、窃盗症状が自覚できなくなるといった耐性減少が生じる場合があります。また、心理的防衛機制としての解離の規制が認められ犯行時の精神状態を想起できない場合、つまり、本心から記憶にアクセスできなくなる場合や、店舗内や店舗を出てすぐに捕まってしまい、満足感や快感、解放感等を感じる間もない場合もあります。しかしこれらの場合でも、過去の万引き時において、緊張感や満足感、快感、解放感を感じていたことが聴取できれば、クレプトマニアの基準を満たすといえます。ICD‐10(世界保健機関《WHO》の国際疾病分類)に、病的窃盗患者は…通常、何らかの身を隠す試みがなされるが、そのためにあらゆる機会をとらえようとするわけではないと明記されています。つまり、仮に犯行発覚回避行動を取っていても、衝動制御障害たるクレプトマニアの診断と矛盾するものではないのです。これについては、東京高等裁判所第5刑事部平成25年7月17日判決も例に挙げられていました。
次に、摂食障害とクレプトマニアを併発している人がほとんどであることから、この2つの関係性についてもお話しされました。有力なものとして赤城高原ホスピタル院長竹村道夫医師の、摂食障害患者の「枯渇恐怖(食べ物、生活用品、資金、自己に所属する物質や自己の人間的価値や評価がなくなることに対する異常な恐怖)」と「溜め込みマインド(枯渇恐怖に対抗するための、ある意味では、枯渇恐怖の自己治療のための、予備の食品や物品の溜め込み行動)」という心理メカニズムが窃盗衝動の原動力となる、という見解を挙げられました。
クレプトマニアの発症経緯には、①機能不全家庭②性的被虐体験③発達障害が主なものとして挙げられています。
次に先生は認知症(軽度知的障害)によって引き起こされる万引き行為について述べられました。認知症の定義は「生後いったん正常に発達した種々の精神機能が慢性的に減退?消失することで日常生活?社会生活を営めない状態」とされていて、その結果倫理?道徳機能の低下と脱抑制(衝動制御の不能性)が引き起こされ、万引き行為へと繋がるそうです。このメカニズムの根拠には、前頭葉の眼窩面の障害により窃盗などの反社会的な行為が生じるとする大脳局在論と、大脳の中にある「欲望」「倫理意識」「損得の勘定」「抑制」を結ぶネットワークのどこかに支障をきたした結果として窃盗が起こりえるとする大脳全体論の2つを挙げられました。
続いては発作重積(てんかん)、知的能力障害(DSM)、発達障害、統合失調症によって引き起こされる万引きについて順に述べられました。発作重積に本人の意思は関係がない、軽度精神遅滞者は日常生活におけるストレスを万引きによる達成感で代償することがある、発達障害や統合失調症の者はその症状により万引きを繰り返し、窃盗症を発症し得る場合がある、とのことでした。
ここまで出てきた精神障害による万引き行為を止めるには治療が必要なので通常の懲役刑が有効とは言えず、再犯を起こしてしまった時にも再度の執行猶予が認められないと治療が進まず再犯のループから抜け出せなくなってしまいます。つまり、根本的な問題解決には至らないのです。条文では、再度の執行猶予について「前に禁固以上の刑に処せられたこと」「情状に特に酌量すべきものがあるとき」と書かれています。これに量刑と量刑判断の基本的な考え方を照らし合わせると、①疾病性や治療に関する医師の意見書ないし証言②入院治療の継続③本人の治療意欲④家族の協力⑤判決までのスリップがないことといった5つの要素がそろえば、責任能力まで争わずとも、再度の執行猶予判決は獲得可能とのことでした。また、保護観察付執行猶予中の同種万引き事件での起訴に再度の執行猶予は許されないとされていましたが、平成18年の刑法改正によって、「処罰の間隙を埋めるため」に「罰金刑が選択的に新設」されました。まだ適用された件数は少ないものの、裁判官にも治療的司法の考えが広まりつつあるとのことでした。
尚、治療的司法とは近時我が国で提唱されその理論や実践的な弁護活動に関する研究が活発となってきている司法哲学で、司法手続きの中での単なる法的解決や紛争解決に留まらずに、紛争や犯罪の原因となった問題の本質的な解決に向けて、必要とされる福祉的支援や医療?その他のサポートを提供する司法観のことです。
ここまでの説明を受けて、先生は常習累犯窃盗罪に関する裁判例(高知地方裁判所平成31年1月24日判決の例を挙げられました。これは先生が担当された裁判例です。平成13年以降、前科6犯、前歴7件を有する本件の被告人ですが、犯行当時、病的窃盗(窃盗症)、神経性過食症、多動性障害や境界性知能の症状がありました。このことから先生は、本件各窃盗は、被告人の人格的ないし性格的な傾向若しくは意思傾向、すなわち窃盗を反復累行する習癖が発現して敢行されたものというより、むしろ、窃盗症という精神疾患や、多動性障害等、矯正教育による矯正のみによっては改善のできない障害による影響の下に敢行されたものとみる方が適切であり、これを覆すに足る証拠はない、結局、本件各窃盗が、窃盗を反復累行するという習癖の発現によるものとして、常習性を認めるには、合理的な疑いが残ると言わざるを得ない、と主張されました。
その後先生は起訴前弁護活動の実例として、兵庫40代女性主婦の起訴前弁護事案を挙げました。彼女は常習累犯窃盗の前科を持っていましたが、専門家の診断、摂食障害と盗癖の治療、被害店の店長の説得や、検察官による入院中の被疑者の治療風景の視察など数々の弁護活動を経て、不起訴処分となったとのことでした。
最後に述べられたのは、刑事弁護人の哲学についてです。従来の考え方では、刑事弁護人は、依頼者を無罪、不起訴、罰金、執行猶予にするのが職責であり、それ以上でもそれ以下でもありません。しかしこれだけでは再犯を犯す刑務所のリピーターが減ることはありません。先生は、依頼者の家族の望みは病気に振り回されない普通の生活を送れるようになることであり、それは社会のためにもなると考えていらっしゃいます。そして、そのために必要な支援をすることがクレプトマニア等の弁護を担当する弁護人の職責だとしています。これは治療的司法観に基づく考え方であり、被疑者被告人が罪を犯す原因に目を向け、その人が必要としている治療や適切な福祉的支援を受けられるように繋げる弁護活動が重要であるとのことでした。
今回林先生の講座を聞かせていただいて、クレプトマニアを始めとする精神障害によって万引きという行為に至った者をただ刑務所に入れるだけ、また、再犯を犯せば有無を言わさず起訴するというのは、社会的にみても非常に非生産的な行為だと思いました。万引きは確かに刑法の条文にもあるように違法行為でありますが、自分の意思で自分の行動を制御できない精神障害者達に責任能力があるとは思えませんし、仮に犯罪行為を成立させるとしても、何の治療も行わずに刑務所に入れていては再犯防止に繋がらないでしょう。その結果万引き事件は減らず、刑務所運営にかかる税金だけが増えていくというのは、効率の悪い行為と言わざるを得ないと思います。窃盗症の患者をいたずらに有罪にするのではなく、治療し再犯を防ぐことが、万引き事件を減らすこととなり、社会にとっても1番効率がよく生産的な行為だと思いました。そのためにも、精神障害により万引きを犯し苦しんでいる人々がいることの認知がもっと進んでほしいと思いました。
次回の講座の担当は、菅原客員研究員(弁護士)です。「生きづらさを抱えた被告人たちと関わって~刑事弁護の立場から~」というテーマで、11月14日に開催予定となっています。
治療的司法研究センター 学生サポーター M.I.